科学鑑定の現状と将来への課題

日本の科学鑑定評価基準は、欧米諸国に比べて極めて遅れているガラパゴス状態である。
米国やEUは陪審員制度のこともあり、科学鑑定評価基準を着々と構築しつつある。つまりは陪審員が理解できる評価基準を作成し、さらにその評価基準を更新している。

日本国内においてはDNA鑑定や指紋鑑定は、各鑑定の要素となるデータが有限であるのでその組み合わせから算出される確率をそれなりに評価している。筆跡や印章それに音声については、鑑定対象データが有限ではないのと、科学鑑定基準がないので依然として裁判所の心証によって鑑定結果の判断を委ねている。

鑑定の一部に数学を利用しているので、それをもって科学鑑定と主張している鑑定人もいる。数学の有機的な組合せを行わないと、真の科学鑑定とは言えない。

また裁判所が心証に判断を委ねることは誤審の可能性があることを意味する。
誤審が多いことは、科学鑑定を最高水準まで高めると明らかになる。

では科学鑑定評価基準で重要なことは何であるかという課題になる。
DNA鑑定、指紋鑑定、筆跡鑑定、印章鑑定、音声鑑定の重要な判断は、真か偽かの二択問題である。

この二択問題は真か偽かの押し合い問題であり、日本国内の学会等は1990年代以降学会の論文や最近の出版物でも有効な解決方法を見出していない。

したがって裁判所の判断は、真であるのに偽と判断する第1種の誤り、つまり冤罪を避けるために偽であるのに真と判断する第2種の誤りの判例が減少してはいない。
第1種の誤りや第2種の誤りを避ける評価基準が明確ではないからである。

この誤りを避ける評価基準はすでに2017年の日本工業規格ハンドブックに記載されている。ただJISハンドブックは研究者や品質管理者が読む機会はあっても、法曹界では読まれた経歴がない、法曹界で本格的なこの評価基準の浸透に時間がかかると考える。

従来の筆跡鑑定や印章鑑定では目視による判断や、せいぜいスキャナーで4倍程度の画像拡大によって行われてきた。
この判断には限界があり、当鑑定所では、デジタルマイクロスコープで20倍から50倍程度に拡大して鑑定している。

これまでに鑑定した中では100倍に筆跡や印章印影を拡大撮影した例がある。100倍に拡大した映像でないと正確な真偽判断ができなかったからである。

つまり鑑定手順が決まってその手続きや手順に従って鑑定するだけではなく、疑問点があれば、更に最適な手法を見出して、追求するのが本来の鑑定である。つまり手続きだけに頼らず、事実の追求が本来の鑑定作業である。

また従来の鑑定手法では同じモノサシで測れるようにする手続きがなかった。したがって測定したデータの解析結果の信憑性に欠けることになる。

また測定したデータ数が圧倒的に少ないのも、伝統的鑑定手法の欠点である。

左図は『山』という3画の文字である。実際に測定すると、実画の送筆距離が4データ、実画の送筆方向が4データ、空画の送筆距離が3データ、空画の送筆方向が3データ、筆圧は通常8データとるので、計22データが抽出できることになる。

重要なのは、同一筆者が同一文字を書いても、文字の大きさが都度異なることである。1画が長いあるいは短いといっても、同じモノサシで測れるように変換しないと画の長短は言えないことである。

同じモノサシで測れるようにしないと、データ化した意味がない意見となることである。現状は伝統的な鑑定人も筆跡鑑定の研究者もすべてこの手順を怠っているといえる。

伝統的鑑定人は1文字当たり、3ないし4データ位しか抽出しないので、鑑定に使用するデータとしては当鑑定所と比較して5倍以上の違いがある。

当鑑定所はなぜこのようなデータ量を取り扱うかといえば、文字を4倍に拡大しても真偽が正確にわからないとこがあるからである。
これは目視では容易に真偽判断ができないためである。

2016年以降は偽造技術が急激に進歩しているので、デジタルマイクロスコープでは30倍から50倍に拡大して写真撮影している。

なお印章鑑定では100倍に拡大して鑑定するケースもある。
手順通り鑑定して真偽判断できる時代ではないのである。

第1種の誤り、真を偽とする誤りをなぜ犯すか分かってないと、データ数を多くとり、かつ人工知能の機械学習で確率計算を行うと第1種の誤りは犯さないのである。

第2種の誤り、偽を真とする、はデータ数を多くとり統計検定を行い、ベイズ定理で真である確率を計算すると正確に偽であると計算できる。

このことを理解しないで目視による判断は誤りを犯します。

デジタル技術の発展により、容易に偽造できる環境が整っていることを忘れてはいけない。

現在の学会等の論文について

ここ30年間の間に学会数は3倍程度に増えている。
これは研究課題が細分化された理由が一番大きいと考えられる。

掲載されている学会誌の論文は、学会内で論文審査を経てから掲載されるのが通常かと考えるが、本当に審査を経ているのかの疑問がある。

主な内容としては、基本的な数学処理を経てから解析すべきことを怠っている例が多く見受けられる。
投稿論文数が多いとの理由で済まないことである。

したがって学会誌に掲載された論文といえども、論理的あるいは数学的に正しいとするのは早計である。

また学会のトレンドもあり、最近では人工知能を使った論文が増えている、十分に理解せずに論文化しているケースも見受けられる。

したがって、学会誌に掲載されたからといって頭から信用するのは避けるべきである。

今後の課題

現在大学の教育にデジタル・サイエンスが文系理系を問わず、教養部(1学年から2学年)の必須科目になっている。

約30年前に東京大学と共同研究していたちょうど2月の最終打ち合わせのときに、4月から文系でも選択科目でデジタル・サイエンスの講義を始めると聞いた。

それから30年余経過して、ようやくデジタル・サイエンスが学問として注目されている。

法曹界においては筆跡鑑定や印章鑑定、音声鑑定においてデジタル・サイエンスを基本として根付くことが重要である。

そのためには法曹界において、論理学や統計学の産物であるネイマン・ピアソンの統計学者が提示した、真偽の押し合い問題である第1種の誤りと第2種の誤りが存在し、またその解決方法もすでに存在することを認識しなければいけない。

その認識に立ってこの押し合い問題の解決方法を浸透させなければならない。
このためには、法曹界はもちろん、鑑定人もそのような意識をもって、業務に当たらなければならない。

また科学鑑定の鑑定手法の開発については、物理や数学が理解できている研究者が、鑑定の実務を行いながら開発を続けるのが最適な研究開発方法である。

しかし、日本の研究開発は現場と隔離している場合が多いので、研究開発の成果が上がるのに時間がかかるのが、これまででした。
縦割りの作業分担をせずに、開発優先の体制づくりが必要でしょう。

第1種の誤り(真を偽とする誤り)と第2種の誤り(偽を真とする誤り)に気づいていないのが法曹界の現状であり、その誤りをいかにして侵さないかが、延べ約14年間の研究と鑑定実務を行ってきた当鑑定所の提言である。